もうすぐ1歳になる次男が来ている洋服は、長男(3歳)の「おさがり」ばかりでかわいそう。
今朝、妻がこのように言及していたのですが、「おさがりばかりでかわいそう」という所がひっかかりました。事実のみを抽出すると、「兄が着用していた、まだ十分に着れる洋服を弟が着ている」だけです。そこに、大人が勝手に「かわいそう」というネガティブな意味を持たせていることになります。
1歳の幼児が「おさがり」を嫌だと主張することはありませんが、親から折に触れて「かわいそう」と言われ続けていたら、「そうか、僕はおさがりばかりで、かわいそうな子供なんだ」と思うようにもなりかねません。
子供から「おさがりは嫌だ!」と主張するようになったら話は別ですが、それまでは「かわいそう」とか言わなくても良いのではないかと思います。逆に言えば、「かわいそう」と言われ続けていたら、どんな子供でも「おさがりが嫌!」ってなりそうです。
むしろ、上の子供が着ていた「思い出のつまった」洋服を下の子供が着ているのを見ると、幸せな気持ちにもなりませんか。
人によっては、おさがりが価値を持つ場合もあります。
例えば、私は憧れの先輩からもらったネクタイを喜んで身に着けていたことがあります。
また、「おさがり」ではないですが、ナポレオン・ボナパルトの帽子が3億円で売れた、というニュースもつい先年ありました。
そもそも、「おさがり」というのは、神棚・仏壇に捧げた後に、神仏の前から下げたものを指すことばで、漢字では「御下がり」と表記するものです。そう考えると、なんだか御利益がありそうではありませんか。
というわけで、「おさがり」を「かわいそう」というのはやめにしませんか。
同じような理由で、私は「バツイチ」や「できちゃった婚」という表現もネガティブなバイアスが掛かっているので好きではありません。「離婚したことがある」「子供を授かった後に結婚した」と言えば済む話です。